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        地上の生 地下の生
        2021/10/07
        地上の生 地下の生
        2015年11月8日の記事より

        この前の記事で書いたお店では、スジャータ的十夢母茶(!)との出会いのほかにも、もう一つ、特筆すべき素敵な出会いがあった。
        それは、椅子に座った時に目に飛び込んできた蝶と蝉とトンボの3つの小さな絵画。(@私は最初、てっきりエッチング作品だと思っていたのだが、あとから聞くと、実は絵画ではなく写真を転写したものらしい。それにもビックリ)。 その中でも、なぜか蝉に心惹かれた。とても繊細で丁寧な作品で、儚い虫たちの生の一瞬がそこに浮かび上がっていた。

        その作品を作った人は『具本昌(クー・ボン・チャン)』という韓国の写真家さん。カフェのオーナーさんがファンだとのことで、彼の作品集が壁にいくつか立てかけられていた。吸い寄せられるように一冊一冊丁寧に拝読させてもらった。

        それから、改めて、もう一度『蝉』を見た。 なぜか涙が出てきそうになった。(たぶん、日帰り手術の影響でナチュラルロウ(笑)で、沈静的なものに関する感受性が高まっていたのではと思う) 今まで、蝉に関心を持ったことなどなかった。(ボンが生まれてからは、蝉取りしたり、抜け殻を集めたり、樹の根元に蝉の穴を発見してワイワイ言ったり…男の子がいるご家庭のあるある的思い出くらいは一応ありますが) なのに、こみ上げてくるこの想い。涙をうっと堪えながら、また手に包んだ十夢母茶に視線を落とすと、カップの中で深紅の波が揺れ、そして、今、見たばかりの蝉と、彼の写真集にある多くの作品が放っているものが、一つの気づきとしてぶわっと胸に迫った。

        (うまく伝えられるかわからないけれど、書いてみます。)

        彼の写真集を見れば感じるが、その作品の多くは「生と死の間」を感じさせる。 たとえば、彼の父親の今際の際のお顔の写真がある。私も父が他界する瞬間に立ち合うことができたのでよくわかるが、「その」ご尊顔なのである。枯れ木に最後に残った葉っぱ一枚。それがはらりと落ちるのを、あとは待つだけの状態。しんと鎮まり返ったその沈黙。実際は一瞬なのに、永遠を感じさせるその瞬間が、見事に切り取られた一枚。

        ああ、この「蝉」のことだと胸が熱くなった。 蝉が短命なのは、あまりにも知られたことではあるが、サナギから脱皮をした、生まれたばかりのその蝉は、その誕生の時点ですでに死を予感させる。 私は、はっと気づく。実は、私たち「ヒト」も同じではないか!と。

        蝉のつかの間の地上での生は、永い地下での生の神秘に支えられている。地下において、彼らの命が、蝉という形を取るまでの変遷。それは神秘そのもの。土の下で、卵が孵化すること、幼虫がサナギになること、それは地上の蝉からは当然見えない。でも、それ、その神秘は、まちがいなく起こっている。

        私たちの地上の生=母親の胎内に受肉し、苦痛とともに生まれてからの生涯=も、おそらく、私たちが知ることはない生の神秘を経て、表面化するのではないだろうか。地下での神秘が、蝉の生涯を裏付けているように、私たちヒトの「生」も、「死」に裏づけられたものではないか。 現在「死」と呼んでいるものは、実は「生の神秘」の一環で、私には、生命が激しく動き出す前の、生の沈潜の不可思議さを、紅黒いお茶が表しているように見えたのだった。

        「死」の中に、新たな生がうごめいている──。

        そのうごめき、その揺らぎ を、そこに見たような気がしたのだ。 ジュモンモのお茶に浮かぶ薬草の実をながめ、 (ちょうど、この小さな「実≒種」の中には、樹木に「なろうとする」生の神秘が詰まっている)と、私は心でつぶやいて胸がいっぱいになった。

        ああ、伝わっているだろうか…。

        蝉がつかの間の地上の生を、永い地下の生によって叶えるように、ヒトの地上の生も瞬く間で、たぶん「死」の期間の方がずっと永いような気がしてくる。 その永い「死」の期間、目に見えぬ多くの神秘によって、地上の「生」が準備されたのだと考える方が、自然に思える。だれにも証明できない、わかりえないことだけど。

        「死は生の一環」なんていうと、この「生」をないがしろにしてもいいなんて思う人がいるとしたら、それは世にも短絡的な発想。 私たちは、ながーい「死」という形の「生」の下で、ものすごい変遷、変容、脱皮?(笑)を経て、ようやく地上の生に至れるのだと考えると、だからこそ、地上のこの「生」を大切にしたいと思えるのではないか。

        ……ほんと、だれにもわからないことだけど。 まあ、科学者でもないただの主婦に過ぎない者のこの戯れ言の、真か偽かを問うのは野暮でござんしょう?(笑) そう思ってお許しくださいまし。^_^

        ここで改めて言うまでもないのだが、私はただのヘンタイなので、こんなことを平気で書くわけだが、この沈黙する蝉に、生死の儚さと神秘を映し出したクー・ボン・チャンさんは、ほんまにすごいわけで、さらに、そんな芸術的な空間をカフェとして作られたオーナーさんのセンスは感服のひとことであーる。

        そもそも、あの空間自体が、ある意味「胎内」「死」「沈黙」を想起させられる場であって、「夜明け前」のような薄暗さ(ほの明るさ)で、生の神秘を感じさせてくれる、ある種のアミューズメントのようなカフェ と言えるのである。

        おお、この大絶賛。(笑) 本気で体感したい場合は、できれば手術後の精神的に過敏な状態で入店されることをオススメします。……たはは、なんちゃって…(^^;)
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